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help リーダーに追加 RSS 「ざくろの花」と「夜明け前」島崎藤村(1)

<<   作成日時 : 2008/06/19 21:58   >>

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青山吉左衛門(きちざえもん)の家は、代々「本陣」「庄屋」「問屋」を兼ねた旧家であり、馬籠の村を開拓したのも、この家の祖先でした。
半蔵は馬籠宿本陣の跡取り。
木曽路は
山の奥深い所なのですが、
交通の要所であったために
参勤交代のおなりも含め、
人々の往来は盛んで、
飛脚(ひきゃく)たちが
江戸の便りを運んできます。





この山田舎に住む若き文学青年半蔵は、
都会を、勉学を、攻し難い情熱で夢見ます。
勉学を志し、義理の兄にあたる妻籠の寿平次
旅の友として江戸に向かい、平田篤胤大人(ひらたあつたねうし〜国学者であり神道家)の門下に入る念願を果たすのです。

当時の木曾の姿が、生き生きと描写されています。  
                 (今回は記事はいつもと違い長文です)

檜木(ひのき)、椹(さわら)、明檜(あすひ)、
高野槙(こうやまき)、ねずこ(木+鼠)

   これを木曾では五木という。

そういう樹木の生長する森林の方は殊に山も深い。
この地方には巣山(すやま)、留山(とめやま)、明山(あきやま)の区別があって、巣山と留山は絶対に村人が立ち入ることを許されない森林地帯であり、明山のみが自由林とされていた。
その明山でも、五木ばかりは許可なしに伐採することは禁じられていた。
これは森林保護の精神より出たことは明らかで、木曾山を管理する尾張藩がそれほどこの地方から生まれて来る良い材木を重く視ていたのである。
取り締まりはやかましい。すこしの怠りでもあると、木曽谷中三十三村の庄屋は上松の陣屋へ呼び出される。
吉左衛門(きちざえもん)の家は代々本陣庄屋問屋の三役を兼ねたから、その度に庄屋として、背伐(せぎり)の厳禁を犯した村人のため言い開きをしなければならなかった。
どうして檜木(ひのき)一木でも馬鹿にならない。
陣屋の役人の目には、どうかすると人間の生命(いのち)よりも重かった。
「昔はこの木曾山の木一木伐ると、首一つなかったものだぞ。」


江戸末期、この時既に幕府の権威は失墜していたのです。


「畏れながら申し上げます。
木曾はご承知の通りな山の中で御座います。
こんな田畑のすくないような土地で御座います。
お役人様の前ですが、山の林にでも縋(すが)るより外に、
わたくしどもの立つ瀬は御座いません。」


田畑の少ない木曾では材木と絹糸が重要な産物でした。



馬籠本陣の吉左衛門」には、年恰好の近い
年寄役の金兵衛」という造り酒屋の友人が居ました。
二人の隣人ーー吉左衛門と金兵衛とを
よく比べて言う人に、中津川の宮川寛斎がある。
この学問がある田舎医者に言わせると、馬籠は国境だ、
おそらく町人気質(かたぎ)の金兵衛にも、
商才に富む美濃人の血が交じり合っているのだろう。
そこへ行くと吉左衛門は多分に信濃の百姓であると。



吉左衛門は息子の半蔵にぽろりとこんな愚痴(?)ももらします。
「金兵衛さんの家と、俺の家とは違う。」


江戸末期、黒船に乗ったペリーが浦和にやって来て開国を迫ります。
尊皇攘夷の風が吹き出すと、井伊直弼等による安政の大獄が起こり、社会の緊張が一気に高まるとともに、既成の価値観は根底からゆらぐことになるのです。(結局「安政の大獄1858」は倒幕の気運を高め、井伊は「桜田門外の変1860」で暗殺されるのです。)

田舎医者、宮川寛斎はマジメな学者肌の人間で、半蔵の学問の師であったのですが・・
その博識を買われ江戸へ絹糸貿易の使者として出向てゆきます。
『金銀欲しからずといふは、
例の漢(から)ようの虚為(いつわり)にぞありける。』

とうそぶき「薬食いとやるか」と称して江戸の宿屋庭で牛鍋を食らう寛斎。
貿易によって得た小判を運搬することで手にした金銭で、彼の生活は変わります。
(注;牛肉は「臭い」ので庭で食べていた)

「宮川先生(寛斎)のことは、もう何も言いますまい。」と半蔵が言い出した。
「わたしたちの衷情としては、今迄通りの簡素清貧に甘んじていて頂きたかったけれど。」
「国学者には君、国学者の立場もあろうじゃありませんか。それを捨てて、ただ儲けさえすれば好いというものでもないでしょう。」というのは香蔵だ。

香蔵は中津川に住む、やはり寛斎に学問の手ほどきを受けた、半蔵の盟友です。



妻籠陣屋寿平次が馬籠陣屋に跡取りの半蔵を尋ねてきた折にはこんな場面もありました。

「半蔵さん、攘夷なんていうことは、
君の話によく出る『漢ごころ』ですよ。
外国を夷狄(いてき)の国と考えて
無暗に排除するのは、やっぱり唐土(とうど)
から教わったことじゃありませんか。」

「寿平次さんはなかなかえらいことを言う。」

「そりゃ君、今日の外国は昔の夷狄の国とは違う。
貿易も、交通も、世界の大勢で、止むを得ませんさ。
わたしたちはもっとよく考えて、国を開いて行きたい。」

その時、半蔵はもとの座にかえって、寿平次の前に座り直した。
「ああああ、変な流行だなぁ。」
と寿平次は言葉を継いで、やがて笑い出した。
「なんぞというと、すぐに攘夷を担ぎ出す。
半蔵さん、君のお仲間は今日流行の攘夷をどう思っていますか。」

「流行なんて、そんな寿平次さんのように軽くは考えませんよ。
君だってもこの社会の変動には悩んでいるんでしょう。
良い小判は浚(さら)って行かれる、物価は高くなる、みんなの生活は苦しくなるーーこれが開港の結果だとすると、こんな排外熱の起って来るのも無理ないじゃありませんか。」

二人が時を忘れて話し込んでいるうちに、いつの間にか夜は更けて行った。
酒は疾(とっ)くにつめたくなり、丼(どんぶり)の中の水に冷やした豆腐も崩れた。


一方妻籠の本陣での家族。
寿平次たちはおばあさんが貰った横浜土産の「石鹸」を見ながら、それが何であるか誰にも解らずにいます。
鍋で煮てみたりもしましたが、使い方が解らないのです。
    ただ・・
新しい異国の香気は、そこにいる誰よりも寿平次の心を誘った。
めずらしい花の形、横に浮き出している精巧な羅馬字(ろーま字)ーーそれは江戸土産に貰う錦絵や雪駄(せった)なぞの純日本のものにない美しさだ。実に偶然なことから寿平次は西洋嫌いでもなくなった。古銭を蒐集することの好きな彼は、異国の銀貨を手に入れて、人知れずそれを愛玩するうちに、そんな古銭にまじる銀貨から西洋というものを想像するようになった。
しかし、彼はその事を誰にも隠している。


妻籠の実家にもどっていた寿平次の妹、
今は半蔵の妻になった「お民」が言いました。

「でも、わたしは初めてこんなものを見ました。
おばあさんに一つ分けて頂いて、
馬籠の方へも持って行って見せましょう。」

「それは止した方がいい。」
寿平次は兄らしい調子で妹を押し止(とど)めた。

(寿平次のとめ方が好いじゃないですか。)




さて、馬籠陣屋のお民と半蔵夫婦のこんな会話もあります。
「何かい。神葬祭の話しは出なかったかい。」
「わたしは何も聞きません。兄さん(寿平次)がこんなことは言っていましたよ。−−−半蔵さんも夢の多い人ですって。」
「へえ、俺は自分じゃ、夢がすくなさ過ぎると思うんだが、−−−夢のない人の生涯ほど味気ないものはない、と俺は思うんだが。」
「ねえ、あなたが中津川の香蔵さんと話すのを側で聞いていますと、吾家(うち)の兄さんと話すのとは違いますねえ。」
「そりゃお前、香蔵さんと俺とは同じものだもの。そこへ行くと寿平次さんの方は、俺の内部にいろいろなものを見つけて呉れる。」



・・この後どうなるでしょうか・・・
ちらっとページを繰ってみたら、半蔵が神道の祈祷をしていました。

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半蔵の真摯な姿勢が良いなぁ・・と思った直後に、いやいや寿平次のスタンスも捨てがたいとも思い。田舎医者寛斎はこのままなのだろうか、まあ、このまま「食えない爺さんキャラ」でも味があるな、などと考えたり。登場人物たちは、それぞれの視点でそれぞれの道を選び取って激動の時代を駆け抜けます(だと思います、まだ全部読んでいないけれど)。
中庸といえば聞こえが良いけれど、人生『ちゃらんぽらん』も良いと思っているわたしは「今のところの『寿平次タイプ』」を支持するかな?
この先この人達はどうなって行くのでしょう。。




かなり「先が読めない」展開が待っている気はしています。
なんといっても、まだ上巻も終えていません。4倍先があります。ふうと溜息。


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文頭画像は一週間前に撮影した、中央図書館前のざくろの花。
なんともみごとな枝ぶりです。
〜〜私のベランダにもざくろがあります。
そんなに大きくなる木だとは思わず不用意にも植えてしまいました。
「桃栗三年、柿八年」
ウチのざくろは三年になりますが、まだ花も咲きません。
いつになったら結実するのでしょうね。
まあ、園芸家は基本的に気長です。
  さて、「夜明け前」の続きを読みますか・・
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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
ちとさん、こんにちは。
夜明け前を丁寧に読んでいらっしゃるのですね。私はどうも、こういう重厚な長編小説は、心構えが必要な気がして、決心がつかず、いまだ読んでおりません。でも、ちとさんのブログから、半蔵たちが時代の経過とともにどうなって行くのか、わくわくする気持ちです。この時代の木曽の宿の人々の生活もどんなものか興味深いです。次を楽しみにしております。
エフ・エム
2008/06/20 13:35
エフ・エムさん、こんばんは。
半蔵は藤村の父がモデルになっているそうです。
藤村は七歳から三年間(という短い時間)のみ、父親と馬籠で過ごしたらしいです。かなり複雑な人生とのことです。そういった事情もあるのか、この小説の作中人物・性格設定は細やに思え、魅了されています。
長編小説は少し前に「大地〜パールバック」を読んでから、その面白さに開眼しました。しかし、一気に読み上げる時間も気力も無いので、整理しながら進むことにしています。それに、メモが無いと3年もすれば内容を忘れてしまいますし(苦笑です)。
この読書メモは百〜二百分の一のあらすじに過ぎず、不十分だとは思いますが、これからも少しずつ丁寧に書いてゆきたいと思います。コメントを頂きありがとうございました。

ちと
2008/06/21 22:05

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