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明治十九年十月十五日曇り。二銭柿代富太郎、茂吉え遣し。 明治廿三年正月七日。十八銭、茂吉授業料正二二ヵ月分。 十日休日。 三銭茂吉え遣し。 七月二日。五銭茂吉書物代。〜中略〜 十二月廿四日。二十二銭茂吉薬代。 こんな具合である。 ここに二十二銭茂吉薬代とあるのは、僕が絵具に中毒して黄疸になったとき、 父は何処からか家伝の民間薬を買って来てくれた。それを云うのである。 父の日記は、大凡(おおよそ)農業日記であって、そのなかに、 ぽつりぽつり、僕に呉れた小遣銭の記入などがあるのである。 父親没後、父の朴訥(ぼくとつ)な日記を見て回想する茂吉。 会話少なかったであろう明治の父と息子のつながりが淡々と述べられて いるのですが、その淡白さがかえって胸に迫ってきます。 仁兵衛(にへえ)は謡(うたい)の上手で、それに話上手であった。 仁兵衛はいつも日の暮方になると丘陵にのぼって 川に沿うた村だの山のふところに点在している村だのを眺める。 村の家から豊かに煙の立ちのぼるのを見極めると、仁兵衛はいつも 著換(きがえ)をしてその家に行く。 その家には必ず婚礼があった。 祝言の座に請ぜられるぬ仁兵衛であるが、いつも厚く響(きょう)せられ 調法(ちょうほう)におもわれた。 仁兵衛は持前の謡をうたい、目出度や目出度を諧謔(かいぎゃく)で 収めて結構な振舞を土産に提げて家へ帰るのであった。 村の人々はその男を「煙仁兵衛」と云った。 その仁兵衛が在る夜上等の魚を土産に持って帰途に著くと、 すっかり狐に騙(だま)されてしまうところを父はよく話した。 父は奇跡を信じ妖怪変化の出現を信じて七十歳を過ぎて此世を去った。 精神科の医師であり、歌人である茂吉。 万葉集の解説では独特の味わい方を解き、私の好きな歌人なのですが、 こういった文章ははじめてよみました。 茂吉は幸田露伴を老翁と敬愛して、露伴を訪ねることを楽しみにしていたそうです。 父は上山町のとある店先で、感に堪えたという風で、蓄音機の喇叭(らっぱ) から伝わってくる雲右衛門の浪花節(なにわぶし)を聞いていたことがある。 けれども、父はその蓄音機は窮理の学に本づくものだということなどは 追尋しようともしなかった。 この斉藤茂吉 念珠集(ねんじゅしゅう)は青空文庫にありました。 風の又三郎とはまた趣を異にする東北の童話。 父への無骨ともとれる愛情が、しみじみと伝わって来る作品でした。 茂吉の万葉集はこちら 万葉秀歌〈上巻〉 (岩波新書) 万葉秀歌〈下巻〉 (岩波新書) 写真:柘植の花がさきました。直径は5mmほど。 ちいささがより愛らしさを増しています。 念珠集 斉藤茂吉 昭和文学全集 巻四 小学館
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ちとさん、こんにちは。 |
エフ・エム 2008/05/20 10:04 |
エフ・エムさん、こんばんは。 |
ちと 2008/05/22 00:18 |
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